帰省〜実家へ

夕食後、義父&旦那と別れて、母の待つ実家へ移動。ここ半年ほどで、10キロも痩せちゃった母は、なんだか骨が目立ってしまってる感じで。ふっくらしていたのになあ。「あんたもちょっとは痩せなあかんで。」と言いつつ、「こんなんあるから食べ!」「これも食べへん?」と、次から次へいろんなものを食べさせようとする。だ〜か〜ら〜、、お母さん!言ってることとやってる事が一致してないから。
一人暮らしで、ついこの間までは叔母が遊びに来てくれていたとはいえ、やっぱりいろいろ寂しいらしく。とにかくマシンガントークで、話す話す。たまに、「なんか面白い話して。」と無茶ぶりするけど、それからまたあれこれ愚痴ったりなんだかんだ話が止まらない。サッカー見るどころか、テレビをつける事すら無理な感じ。しょうがないなあ、、。
なんか面白い話して、、と言うので、「花子とアン」のこれから先に起こる白蓮事件の話を詳しくしたら、めちゃめちゃ食いついてきた。ついでに、白蓮さんが九州で暮らした炭鉱王の家の様子や、地元のガイドさんが言ってた事などyasukonさんのブログで知ったことも、まるで自分が行ってきたかのように説明。そんなにテレビを見ない母なのだけれど、白蓮さん話はとても興味深かったようだ。「それも全部インターネットで調べたん?」とうらやましがる母。母にとっては、どうもインターネットってものは、魔法の宝箱のように思えるみたい。
11時過ぎには母と枕を並べて寝たんだけれど、しばらくはいろいろおしゃべりが続き。でも、さすがに前日あまり寝てなかった私は気づいた時にはすっかり眠りに落ちてしまったようで。母はその後、いつもの通り、NHKラジオ深夜便を聞いていたみたい。で、深夜。ふと目が覚めると、母はラジオをつけっぱなしで眠り込んでおり、そのラジオからはなにやら、「今国歌斉唱が終わりました。」みたいなアナウンスが。あれ??国歌斉唱??と思ってると。なんとアルゼンチン対ベルギーの試合をラジオ中継してるではないか!さすがNHK!テレビはつけられないけど、ラジオをこっそり聞くくらいはいいよね。そして、Facebookをこっそりのぞくと、お友達がコメント中継してくれてる!やった。これでテレビなしでも大丈夫だわ!と。前半はしっかり聞いてた。でも、、ハーフタイムでなんだかいつの間にか寝てしまったみたい。なんとなくその時、義母の病室での看病のことを思い出した。義母は、ちょうどあの日韓ワールドカップの年に亡くなった。最後、亡くなる前に私が病室に泊まり込んだりしたんだけど、その時こっそりラジオでトルコ対ブラジルの準決勝の試合中継を聞いてたなあ、、なんてしみじみ。このラジオを消さずにつけておいてくれたのは、義母かもね、、。なんて。布団の中でこっそりそんな事思い出していろいろ懐かしい思い出にひたってたりした。
翌朝、起き出して、たまらずテレビをつけてオランダ対コスタリカを観戦。ここだけはついつい夢中になって母の話を半分くらい聞き流してた。ま、そのくらいは許してもらえるだろう。「やった〜!!!すごい〜!!!」とか叫んでる私に、母はビックリしてたけど。笑

ベーグルとすいかの朝ご飯の後、私は気になっていた屋根裏部屋の片付けを母と一緒に。あれもこれも捨ててすっきりしたい私に、母はいろいろ抵抗していたけど、それでもまあ、だいぶん片付いた方かな。「このまま死んだら、ここのゴミ処理だけでものすごい金額のお金を取られるねんで!」と説き伏せて。まあ変な物が出てくる出てくる、、。缶に保存した、遠い昔母の叔父にもらったヨモギの葉とか。それはすっかりぱりぱりの茶色い枯れ草になってたけど。叔父さんって何年前に亡くなってるんや!という話やね。なんというか、玉手箱。そして、なぜか、新渡戸稲造5000円札の入った封筒を2つも発見。どうしてこんなところにお金を置いておくかね、、。両親が亡くなってたら、たぶんこのまま知らずに捨ててたと思う。まったく、、なんなんだ。「断捨離よ、断捨離!」と言う私に、「断捨離って何??」ととぼける母。まあ、母からは一番遠い言葉かも。
その後、家中にざっと掃除機をかけて、昼ご飯作成。なぜか母が「あんたパエリアって食べたことある?」なんて言い出した。ビックリ。母からパエリアという言葉が出てくるとは。「なんか、カルディにこんなん売ってたから買ったんやけど、美味しいかな。」なんて、母が取り出してきたのは、アルファ米つき、パエリアの素。「パエリアって私、めっちゃ大好物よ〜。ほんなら、これに具を足して作ろうか。」と。冷蔵庫にあった海老とピーマン、パプリカ、ズッキーニを炒めて一緒に炊き込んだ。そしてミニトマトを添える。

案外美味しいパエリアもどきができあがった。母は上機嫌で、「なんか外国の味がするなあ。」って食べていた。そんなにパエリアが好きなら、いつかグリーンスペインのパエリアを食べさせてあげたいなあ、、なんてちょっと思う。東京でグリーンスペインのパエリアを一緒に食べるのはかなり難しそうだけど。
昼ご飯の後、その日のメインイベント、父の特養へ母と一緒にお見舞いに行った。いろいろうるさい条件を出していた兄と母が気に入った施設だけあって確かにきれい。新しい。

父の部屋は個室で日当たりもよく、トイレと洗面所もついていて、すごくすっきりときれい。

お掃除も行き届いてる感じだ。父は、、でも。なんか正直、4月よりまた少し認知症が進んじゃったかなあ、、ってちょっと思った。私が行くのをすごく待っててくれて、すごく喜んでくれた。私が誰かわからない、、ってことはない。でも。何度も何度も同じ話を繰り返す。家の鍵を持ってないと不安。鍵と小銭入れを持たせてほしい、、と何度も何度も言う。ここはお金はいらないし、お金を置いてたら怒られるんだよ、って言っても。またしばらくしたら同じ事を繰り返す。4月に会った時はここまでじゃなかったのにな。「阪神4連勝したよね!調子良いね!」と言っても、「そうかあ。」ってなんか反応が薄い。タイガースの話題だけは、今まで必ず食いついてきたのに。ちょっと前までやったら絶対すごく嬉しそうな顔したのに。なんかちょっと表情が乏しくなってきてるような、、。う〜ん、、。仕方ないけど。ちょっと悲しい。
それでも、義父がお見舞いにくれた和歌山のあらかわの桃は、「美味しい!」と言って食べていた。そして、御座候も嬉しそうに食べていた。とりあえず食欲だけは残ってるみたい。食べる楽しみだけが最後に残ったのかあ、、。パーキンソン症状の影響で、この病気はだんだん誤嚥の恐れが増えてくる。誤嚥するようになったらそこから肺炎を起こして危ないので、すごく心配。でも食べる楽しみだけはなんとか最後までちゃんとかなえられますように。それさえ無くなってしまったらあまりに悲しすぎるよなあ、、。
母は、全然あきらめてなくて、一生懸命父にリハビリもどきのことをさせようとしてる。まあ、父も素直に言うことを聞いてるから、それが二人にとって大事な時間なのかも、、と思ったりした。母は毎日、家から新聞を持って行ってる。私の前で、父にここを読めって、天声人語を音読させていたんだけど。それは案外すらすら読めるんだよね。ちょっとビックリ。ただ、後で父とその内容について話しても、イマイチ内容はわかってないみたい。読めるのに、文章は頭に入ってきてないみたいだ。でも、漢字もすらすら読めてるのになあ。なんだかちょっと納得いかない。まあ、認知症の症状って波があるから。今回はやたら鍵と小銭入れが気になっていただけなのかも。次はまた阪神の話ができるかも。できればいいな。
なんて思いつつ。特養を出て、JRで新大阪へ。旦那は義父と一緒に墓参りと知恩院のお参りに行ってきたらしく、義父は気になっていたことがすませられたのでちょっと上機嫌だった。旦那は旦那で親孝行できたね。よかった。

帰りの新幹線では、旦那が買ってきてくれた出町ふたばの豆餅と、ホームで買った赤ワインでお疲れ様の乾杯。その後爆睡して、東京の自宅に戻ってから遅めの夕食。

旦那は、京都で買ってきたお弁当で晩ご飯。

ご飯は鳴海餅の赤飯。これを私もちょっとわけてもらった。鳴海餅の赤飯って美味しいんだよね。いつか本店に行ってみたいな。

それと、私は昼のパエリアの残り。さめても案外いけた。
それにしても一泊二日で盛りだくさんの帰省だった。ちょっとくたびれたなあ。昔は新大阪駅降りて大阪弁聞くとホッとしたんだけどね。今は東京駅に近づいて有楽町駅のネオンサインが見えるとなんだかホッとする。いつの間にか東京暮らしの方が長くなってるんだよね。