帰省2日め〜5日め、実家で頑張った

帰省1日めは、旦那の実家でのんびり過ごさせてもらったけど、2日めの午後にいよいよ自分の実家に移動。ここからが大変。特養に入所している父が、家に帰りたがっているし、一時帰宅させたいということで。お盆に父を2泊3日で一時帰宅させる予定にしていた。4月に帰った時も、父の面倒はみていたんだけど、その時に比べてもだいぶん身体が不自由になっているらしく。ちゃんと介護できるかちょっと不安だった。

実家1日めは、とりあえずまだ母と二人なので、のんびりムード。庭掃除などして、あとは母の愚痴を聞くくらいで軽く終了。晩ご飯は、母のリクエストにより、冷蔵庫の中の野菜を適当に消費するメニューを作ってみた。大根のサラダとか、もやしのナムルとか。もやしナムルは、母のレパートリーにないメニューだったので、珍しかったみたい。ちょっと喜んでもらえた。かぼちゃの煮物は母のお手製。この味は実家の味だなあ、、ってしみじみ。

実家2日め。13日の朝。この日はいよいよ父を迎えに行く。父のお迎え時間は午後1時の約束だったので、その前に、垣根や溝の掃除をしていたら、ちょうど旦那が差し入れを持ってきてくれた。近所の超美味しいパン屋さん、ル・シュクレクールのパン。それとHIROのアイスコーヒーなどを持って来てくれたのだ。実家ではこういうお洒落で美味しいものとは無縁だからとっても嬉しかった。旦那は、しばらく滞在した後、恩師を訪ねるのでまた出かけていった。母と私は、早速、もらったシュクレクールのパンで昼食。

抹茶クリームのパンとチョコクリームのパンを母とシェア。ちゃんと年寄りでも食べられるような柔らかいパンを選んでくれたのね。どちらも甘いけど、クリームの味が絶品。さすがシュクレクール。

それに、野菜スープと小松菜の炊いたのをあわせた。
早めの昼食を済ませて、いよいよ父のお出迎え。父の入所する特養に訪れるのは2度目。静かな場所にあるし、とてもきれいで、新しいいし、スタッフの方々も親切ですごく良い施設だなあ、、って思っている。母も気に入ってる。父は相変わらず「家に帰りたい。」と言ってるみたいだけど。その父を迎えに行くと、ちょうど昼食を摂った広間で、車いすに座ってうたた寝していた。
「お父さん、迎えに来たよ!」と言って起こすと、目覚めて満面の笑顔。やっぱりそんなに帰りたいのね、、。母と、ささっと荷物をまとめて、スタッフの方に挨拶して父を連れ帰った。とはいえ、連れ帰るだけでかなり大変。車に乗せるのも、家に着いて車から降ろすのも、家の玄関までの階段を歩かせるのも、めちゃめちゃ大変で時間がかかった。去年よりマシかな?と思うくらいの大阪の暑さだったけど、ひとつひとつの動きにものすごく時間がかかるし、介助するのに、すぐ汗だくになってしまう。前は自分である程度歩けたのになあ、、。今は家の中の移動も難しく。結局家の廊下は車いすで移動することにした。立ち上がる、座らせる、着替えをさせる、、すべての事にとても時間がかかる。特養の介護スタッフの方々のありがたみをひしひしと感じた。これ、毎日やってくださってるんだもんねえ、、。父の病気はレビー小体型認知症認知症の症状もあるけど、身体はパーキンソン病のように筋肉がこわばって、うまく動かせなくなってくる病気。父はそのパーキンソン症状が強く出ている気がする。ひとつひとつの動きがなかなかできず、立ち上がったり、移動したりがうまくできない。特に足がおかしいみたいで。そのたび、こちらも力をいれなくちゃいけないから、うまくコツをつかんでやらないと、腰を痛めそうな感じだ。

父が帰宅した日の夕食。ゴーヤチャンプルーは私が作った。父は、いろいろ全然できなくなってるけど、とりあえずご飯だけは美味しく食べられるみたいで。一応自分で食べられるし。時間はかかるけど。足はだいぶん不自由なんだけど、今のところ手は大丈夫みたい。
その日の夜は、まだよかった。父に起こされそうで、なんだか寝にくくて、あんまり眠れなかったけど、父の夜のトイレ介助は3回くらいと平穏だった。それでも、父を起き上がらせて、ポータブルトイレまで移動させて、下着を脱がせて座らせて、終わったらまた立たせて、服を着せて、またベッドに移動させて寝させる、、ってのがいちいち時間かかって結構くたびれるんだけど。

翌朝の朝ご飯もシュクレクールのパンと、サラダに目玉焼き。父は、シュクレクールのパンを食べて、「こんな美味しいのどないしたん?」などと言ってた。甘いものが大好きだし、大喜び。食欲はあるんだよね〜。

母は、なんだかとにかく、父に家のご飯をしっかり食べさせる事だけが嬉しくて、その事だけ考えてる感じで、正直私はちょっとうんざり。ま、しょうがないけど。それが母の生き甲斐だもんね。昼ご飯は、そうめん(太めの半田そうめん)に天ぷらを作れという。「え〜!そうめんに簡単な薬味でいいやん。十分やん。」と言っても聞かない。そして天ぷらを揚げるのも、そうめん茹でて準備するのも私なんだけど、、。ま、いいか。しょうがないよね。そして、この人たち、日頃食欲がないとか言いながら、結構食べてるよね、、なんて思いつつ。そして、後片付けももちろん私なのだ。しょうがない。この状況では、私には全く自由時間なんて存在しない。お友達とお茶飲みに行くなんて、夢のまた夢だよね、、。

晩ご飯は、残り物などの組み合わせで。芋がゆと、そうめんの残りを利用したそうめんサラダ、かぼちゃの煮物の残り。それに、頂き物の金目鯛の煮付け。この頂き物の金目鯛煮付け、これがとっても美味しかった。骨も無いし、父も食べやすそうで良かった。そうめん再利用のサラダは私が作った。タマネギに紫蘇やミョウガも入れるとちょっと美味しい。父も喜んで食べてた。
身体がほとんど動かないのに、無理だよ、、って言ってもきかない母と一緒に、父をお風呂に入れた。あちこち手すりをつけたつもりでも、やはり、本格的に介護が必要になると、家の中ってバリアフリーどころかバリアだらけ。ドアが狭くて入れなかったり。なかなか施設のようにはいかないよね、、。でもまあ、どうにか父を一応風呂に入れて上げることはできた。
2日目の晩が、でもめちゃ大変だった。父の妄想が始まり、かなりおかしな妄想話をして、様子がおかしい。そして、寝ない。ちょっと寝たかと思うと、「トイレ」と言って起きる。その夜のトイレの回数11回。さすがにしんどかったので、母に3時間だけ交代してもらって、その間少し眠ったけど。でもいいかげんへとへと。そして、トイレの途中に、わけわかんない妄想話を始めるし。特養の介護スタッフの人からは、やはり夜中のトイレ問題を指摘されてた。2回くらいしか行かずぐっすり寝てる平穏な夜もあるけど、ひどい時は20回もトイレに行くらしい。転んだりする危険があるので、ほうっておくわけにもいかず、毎回介助して下さってるんだけど、本当大変だと思う。迷惑掛けちゃってるなあ、、。夜中はスタッフも少なくて大変なのに。
結局朝までそんな状態が続き、7時前にようやく寝たと思ったら、母が今度は朝ご飯を食べさせると言う。私もしんどいし、朝ご飯は無くてもいいんじゃない??と言ったものの、施設ではその時間に食べるのだから、、と母。まあ確かに、朝寝かせておくと、余計に昼夜逆転で夜のおかしな行動が増えるからしょうがないか、、と父を起こす。さすがに食が進まない風ではあったけど、それでも朝ご飯を食べる父はすごいと思った。私はアイスコーヒーで十分だよ、、。

父の2泊3日滞在の最後の昼ご飯。とりあえず、またそうめんと、前日揚げた天ぷらの残り、かぼちゃの煮物の残り、枝豆の残りなどの寄せ集めの昼食。それでも父は「ご馳走やな。」と言って喜んで食べてた。朝ご飯の後爆睡していた父だが、朝ご飯からそれほど時間がたってないのに、よく食べられるなあ、、なんて思ってしまった私。いや、いつもの私なら楽勝なんだけど、ちょっと疲れてたかも。考えてみれば、たったの二晩父の面倒をみただけで、こんなに疲れるとは。ダメダメだね。家で介護してる人もたくさんいるのに。私は本当にダメな人間だと思う。正直、父を特養に送って行った時はホッとした。特養の方々には足を向けて眠れないわ。

そして、特養から直接JRの駅へ行き、そこから新大阪へ。そして、新幹線に乗ってホッと一息。ひとりお疲れ様の缶マッコリを飲んだ。はあ、、。疲れた。でもまあ、両親とも喜んでいたから良かったか。父は、特養に着いてから、「次はいつ家に帰れるの?」と聞いてた。う〜む。これ以上からだが動かなくなったらますます厳しいかも。返事のしようがなかった。お正月、大丈夫かな。できるかな。ちょっと不安だ。