12月30日〜31日実家で年越し

30日は、朝の新幹線に乗って新大阪へ向かった。すでに帰省のピークは過ぎてる?感じではあったけれど、東京駅はやっぱりそれなりに混んでいたし、新幹線も満席だった。

余ったパンでささっと適当に作ったサンドイッチで車中の朝ご飯。

快晴だったけど、富士山はちょっと雲がかかってた。とはいえ、青空と白い富士山のコントラストはなかなかきれいだったので、思わず写真を撮っちゃった。きれいに撮るにはなかなかタイミングが難しいかも。車中では、iPodの音楽を聴きながら爆睡。すぐ横が小さい子供のいる家族連れだったけど、そんなにうるさくなくて助かった。こればっかりは運だよね。

そして、新大阪に到着し、実家へ。実家ではとりあえずお昼ご飯を食べ、その後、台所掃除。窓磨き。庭掃除など。そういう事をやっていると午後の時間なんてあっという間だな。

夕方、母の依頼で茶碗蒸しを作り、こんな感じの晩ご飯に。作り置きのおかずをいろいろ出してくれたんだけど、やっぱり実家のごはんって彩りがね。イマイチかもね。年寄りごはんなので、全体に茶色い食卓。ま、こういうのもほっこりしていいか。
今回、母と結構話し合ったんだけど、父を正月に自宅に迎えることは断念した。ちょっと父には気の毒だったんだけど、そうは言っても父をこのバリヤーだらけでめちゃ寒い家につれて帰るのはどうなんだろうと私は思っていたので、母が決断してくれて正直ホッとしていた。今は立ち上がるのもかなり大変、歩くのもほとんど無理な感じの父が、まず道路から家への階段を上るのがかなり難しい。たぶん不可能なんじゃ?と思う。家の中でももう歩くのは難しく、夏に帰宅した時は車いすで家の中を移動したんだけど、家はあちこちバリヤーだらけ。父を移動させるだけでもかなり大変。こんな状況で父を迎えるのはかなり厳しい。古い一戸建ての木造建築は、ものすご〜く寒いし。父自身は家に帰りたがっていたので気の毒だったが、本人も階段を上がることにはさすがに不安を感じていたようで。同じ施設のまわりの人には「正月に家に帰るのはあきらめた。道路から自宅に入る階段を上れないと思うから。」と話していたそうだ。ごめんね、、父ちゃん。
去年の年越しは、病院から家に戻って来れた父。まだ家の中をゆっくり自力で歩くこともできたのになあ。この1年でやっぱり確実に病状は進行してしまってる。でもなるべく正月寂しくないように、こちらから父ちゃんのところへ行って、父ちゃんといろいろ話したり散歩したりしようね、、、と母と話していた。

そんなわけで、31日は、午前中掃除機をかけたりお煮染め作りを仕上げた後、母のリクエストで昼ご飯には焼きそばを作り、さくっと食べて、すぐに父のところへ。父はちょうど足湯に連れて行ってもらったところだった。それから父の部屋で三人でいろいろとおしゃべり。まだわりとお天気が穏やかだったので、ホームの中を車いすで散歩したりした。

父の介護施設でも、入居者を慰めるため?わんちゃんを飼っているとのこと。そのわんちゃんたちにも会いに行ってみた。わんちゃんたちが出てきてくれて、車いすの父にも愛想をしてくれたんだけど、父はぱっと良い表情になり、すごく嬉しそうだった。こういうわんちゃんの存在って大きいなあ、、ってしみじみ。私もちょっとさわらせてもらったんだけど、とてもきれいに手入れされていて、清潔。やっぱりそこは一番気を遣うところかもしれないもんね。
夕方まで父のところにいて、いろいろ話したりして、その後は帰宅。母のリクエストで晩ご飯を作った。エビチリ。エビチリっていうよりピーマン炒めに海老を混ぜた、くらいになっちゃった気もするけど、ま、いいか。

その後、携帯のあれがわからない、これはどうするの?とか聞かれて、仕方ないから手順をとっても細かくノートに書いてあげたり、、なんて作業を紅白を見ながらやっていた。しょっちゅうソフトバンクショップにいろんな事を聞きに行ったりしてるみたいで。ソフトバンクの人には本当、迷惑かけてるよなあ、、すいません、と心の中であやまったり。そうこうするうちに年越し。正直、こんな風にのんびり年越しできたのは父を預かってくれている特養のおかげ。そして、そこで年越ししてくれている父のおかげ。感謝の気持ちでいっぱいだ。