阪神大震災から20年


20年前のあの日、実は寝坊した。朝、遅めの時間に起きて、関西で大きい地震があった事にビックリして何度も私の実家、夫の実家に電話したけれど、なかなか通じなかった。ようやく通じた電話で、私の母も、義母も「本当に恐かったよ。」って言っていたのを今でも思い出す。私の実家と夫の実家、どちらも大阪だったので、食器等がかなり壊れたりしたものの、神戸のような大きな被害はなかった。ただ、お友達で被害に遭った人が本当にたくさんいて、、。なにしろ出身大学のあった場所が西宮市。神戸からたくさん通学してくる大学だったので、大学関係のお友達に、特に被害が多かった。あの時期、なかなか誰とも連絡がつかず、結局公衆電話に行って電話をかけてやっとつながる、、という感じだったなあ。こういう時って自宅の電話回線より公衆電話の方がつながりやすいんだ、、って実感した。今もあの日のいろんな事、あの後一週間くらい、電話ボックスでいろんな人と話したことは忘れられない。
あれから、結局神戸には行ってない。でも、西宮の母校には、確か3年後くらいに行ったんだよね。地震直後、母校の様子が気になって母校を見に行った友人は、屋根が落ちてしまって、ガラスがめちゃめちゃに割れて、ぼろぼろになった母校の様子にすごくショックを受けていたので、母校がどんな様子なのかすごく気になったんだけど、3年後にはすごくきれいに修復されていて、何事もなかったかのように美しい姿に戻った母校に驚いたし、感動もした。母校の近所の家々、様子が変わったりしていたけど、かなり元通りの姿に戻っていて、みんなの底力に驚いたもんだよなあ、、。としみじみ思い出す。そう思うと、やっぱり津波でめちゃめちゃになってしまった東北よりは、復興がだいぶん早かったようにも思う。でも、やっぱり家族や友人を失った人たちの心は、そう簡単に修復できるものではなく。思い出したくない人もきっと多いんだろうなあ、、。
95年って、阪神大震災もあったし、地下鉄サリン事件もあったし。そして、私個人としては、ドイツに引っ越した年でもあり。決して忘れられない年だ。それにしても、あれからもう20年もたつなんて。なんだか信じられないくらいだなあ。