愛の裏側は闇

愛の裏側は闇(2)

愛の裏側は闇(2)

『愛の裏側は闇』の2巻を読了した。2巻のあらすじはこんな感じだった。

1953年、シリア。片田舎のマーラ村で権勢を誇るムシュタークの一族に生まれたファリードは、村の記憶が深く刻まれた楡の老樹を燃やした罪を着せられ、寄宿制の修道院学校に入れられてしまう。アラビア語を禁止され、本名を使うことさえ許されず、厳しい労働やリンチ、嫌がらせ、そして孤独に耐えつづける日々。だがそこで、修道士のガブリエルや上級生のブーロスに助けられ、彼らを支えとするようになる。これが、ファリードの人生にとって重大な出会いだとも知らずに。家族の愛情と友情、笑い声に満ちた明るい幼年期と、恋人や家族と引き離され、孤独と絶望に覆われた修道院生活を送る少年時代。一族の繋がりと運命に翻弄されながらも懸命に成長する少年の姿を描く第二巻。

2巻は、主人公ファリードの少年時代をじっくり描いている。ダマスカスの市井の人々の暮らしが細かく描かれていて、とても面白い。もともとシリアは世界最古の文明が栄えた場所なだけに、この時代の生活もなかなか豊かだ。お金持ちの子供が買ってもらったキックボードを、みんなまねして自作してそれで路地を走り回ったり。遠く離れた国でも、子供達は同じような子供時代を送っていたんだなあってしみじみ。シリアって人口の一割はキリスト教徒だったらしいけど。今はキリスト教徒ってシリアで暮らせているんだろうか。キリスト教徒の村は去年ムスリムに攻められて大変だったみたいだし。もしかしてどんどん国外に出てしまっているのかもしれないなあ、、。ファリードが小さい子供の頃、50年代には、キリスト教徒とムスリムが隣り合った街区でそれなりに平和的に暮らしていたみたいだし、ユダヤ人も暮らしていたみたいだけど、今から考えるとその頃はちゃんとバランスが保たれていたんだなあ、、って思う。たぶん微妙なバランスだったんだとは思うけど。
エジプトのナーセルが政権を握って、アラブ民族主義を掲げるようになったことや、中東戦争がそのバランスを崩していったのかなあ、、なんて小説を読んでいて思った。そして、2巻の最後の方、大学への進学を決めたファリードは、すっかり共産主義思想にかぶれていて(とはいえ、彼としては、恋人のラナーと、仇同士の家関係なく自由に一緒になれる自由な世の中を目指してる、、ってだけなんだけどな)それがどうやら三巻で大変な目に遭う原因らしく。どうなるんだろう。早く三巻読まなくちゃ!
この本の頃、1950年代はシリアの首都、ダマスカスはそれでも平和で豊かだったみたいなのに。今は、、大変みたいだよね。この本の頃、石けんで有名な、シリア北部のアレッポもとても豊かな街だったみたいなのに。今のアレッポはシリア騒乱の市街戦などで、廃墟に近い状態になっているような。本当に残念。この本を読んでいて、ダマスカスに行ってみたいなあ、、なんて思ったけど、とても行ける状態ではないよなあ。シリアに平和が訪れる日がきてほしいなあ、、ってしみじみ思う。そして、後藤さんのことは本当に、心底残念でならない。