帰省と父の様子〜12日金曜日から14日日曜日まで

金曜日。出勤の時より1時間早く家を出て、8時過ぎの新幹線で大阪へ向かった。東京駅では介護施設の方に渡すお土産を購入。慌てて新幹線に飛び乗ったけど、結構混んでいた。

朝ご飯は、前日の晩ご飯の残りで作ったおにぎり。それにしても、車内は出張の方々が多く、し〜んと静か。いつもよく土曜の朝に新幹線に乗るんだけど、その時とはだいぶん客層が違う感じ。土曜だと子供が結構乗ってたりするし、京都にでも旅行に行く?という感じの女性グループがぺちゃくちゃとかなりおしゃべりうるさかったりする。(←こういう場合、自分も女性同士の旅行だと絶対うるさいに違いないが、自分の事は棚に上げてそう思っちゃう。)だから新幹線の旅に、iPodの音楽は必須。イヤホンして周りの音をなるべく聞こえないようにしないと疲れる。でも、金曜の朝はそんな必要もないくらい、し〜んと静かな車内だった。満席なのに。

実家には午前11時過ぎに到着。父の様子をいろいろ聞いて、それから母とさっと昼ご飯を食べて病院へ。病院では、父は点滴されて眠っていた。私を見て、私とわかって、「遠いところすまんねえ、、。」って弱々しい声で言っていた。なんだかやっぱり元気がない。
その後、お医者様と面談。母と私の二人で父の病状や検査結果の説明、それに今後の治療計画などをうかがう。日曜に緊急入院した父だけど、その時は、尿路感染症から敗血症になっていて、かなり危険な状態だったみたい。日曜からずっと点滴の治療を続けてもらって、数値も下がり、熱も下がってだいぶん具合も良くなってきたけれど、身体にはだいぶんダメージがあっただろうなあ。

父のお見舞いを終えた後、今度は父が入所している特別養護老人ホームへ。そこで退院後の父の事について、いろいろ話し合う。たぶん入院期間は2週間前後になるんだけど、今回の入院で、また身体が動きにくくなってしまったように思う父の介護は、いろいろ大変かもしれないなあ、、と。それでも特養でしっかり介護してくださるのは本当にありがたい。
翌朝土曜日。朝6時から母と一緒に庭の手入れ。本当は私はガーデニングとか大の苦手なんだけどねえ。こんな時しか手伝えないので仕方ない。それでも、6月だとまだそんなに蚊も多くなくて助かった。午前中は家に掃除機をかけたり、台所のぞうきんがけをしたりしたらあっという間だった。
昼に兄が来たので、兄と私で父の見舞いへ。母は毎日通っていたので、少し別の用事もしたい、という事で家に残った。で、私と兄で見舞いに行くと、前日よりはかなり元気になっていた父。声も大きな声が出るようになっていた。ただ、そこでまた一騒ぎ。一昨年の11月に認知症で入院してから、入院中のお正月、病院から老健へ移動する時、老健を一時退所した時、昨年の夏のお盆の一時帰宅の時、と、父が何度か家に帰ったのは、常に私が帰省した時。父を家に連れて帰って父の介護をするのはいつも私だった。だから、父は今回も、私の顔を見て、家に帰れると思ったのかも。私が迎えに来てくれたのではないかと思ったのかもしれない。最初は、「ほな、帰ろか。どの服着るんや?」とか「この布団たたんでくれ。」とか言い出した。で、私が「お父さん、帰るなんて無理やで。点滴もしないとあかんし、身体にばい菌入ってるし、家になんか帰ったら大変やで。病気やねんから。」って言うと、だんだん怒りだし、「なんで家に連れて帰ってくれへんのや!家に帰る!!」と大声で叫び始めた。同室の人に迷惑がかかるくらい騒ぎ出して、もう大変だった。他の人のところに来てる、別の担当の看護師さんを大声で呼びつけるし。「看護師さん!看護師さん!来てください!!!」って。で、看護師さんが「どうしました?」って聞きに来てくれたら、「今日これから家に帰りますから。」って言い出す。「家に帰るのは無理ですよ。先生の許可もいるし。今のお体では家に帰れないですよ。元気にならないと。」って言うと、看護師さんにまで、「なんでですか!!そしたら先生呼んで下さい!もう家に帰ります!なんで家に帰れないんですか!!」って。あ〜あ。もうお父さんったら、ほんとしょうがないなあ、、、。
それでも、しばらくしたら、その感情の高ぶりもおさまって、だんだん普通になってきて、眠り始めたりして。父はどの程度自分の言葉を覚えてるんだろうなあ。家に帰るって簡単に言うけど、導尿もはずせない、歩けない、身体を動かすのもままならない状況で、どうやって家に帰るつもりなんでしょうねえ、、。ほとほと困ってしまった。ただ、ちょっとだけ後悔したのは、こんな事なら少し無理してでも今年のお正月は、1日だけでも家に帰らせてあげた方がよかったのかなあ、、と。あの時は、道路から家に上がる階段を上がれないから無理だよね、って言うと父も納得してたんだけどな。ただ、本当はやっぱりすごく帰りたかったのかあ。せめて1日は帰らせてあげたらよかったのかな。どんどんハードルが高くなって、もうこの状況ではどう考えても連れて帰るのが無理なんだけど。あんな風に泣かれちゃうとさすがにすごく辛い。

そんな感じでどんより帰宅。兄は、「家に帰りたいって言ってるのは何度も聞いたけど、あんな風に騒いだりするのは初めて見たなあ。」って。あそこまで感情をむき出しにして叫んだりするのは確かにあんまりなかったかもね。母がいたら案外遠慮して、そこまでは言わないんだけど、自分の子供ふたりだったからそれだけ甘えてたのかも。でもねえ、、できることとできない事があるからね。と、冷たい娘は思うわけです。夕方、兄と母と3人で外食。さすがにちょっと疲れた。夜は、義父にあげようと思うお総菜を作ったりした。
実家3日めの日曜の朝。また朝6時から、植木の刈り込み。白蓮の高いところの枝を高枝ばさみで切って行くんだけど、虫にやられてて、その虫が枝と一緒に落ちてきて、「ぎえ〜!虫!虫がいる〜!!!」とか、虫嫌いの私は大騒ぎ。だから私、庭仕事苦手なんだってば、、。
朝食の後、母と私の二人分お弁当を作って、二人で病院へ。父はちょうど点滴の針を足に入れるところだった。痛がって動いて、なかなかうまく針が入らなかったようだが、ちょうど私たちが来て、父の気がそれて、私たちと話してるスキになんとか点滴の針をいれてもらえた。父は前日のようなわがままは言わず、わりとおとなしめだった。左足がずっと同じ姿勢で膝を曲げてて、「このままだと筋肉が固まってしまうかも、、」と看護師さんに言われたので、足をさすったり、痛がるのをなだめつつちょっと足の体勢を変えたり。昼ご飯の時間には昼ご飯の食べる介助をした。入院前は自分でぱくぱく食べれたのになあ、、。とちょっと悲しくなりつつ。施設に戻って、少しは以前のような元気を取り戻してくれるだろうか。
1時間くらいじっくりゆっくり父に昼ご飯を食べさせて(とはいえ、半分くらいしか食べられなかった)その後、病棟の休憩室へ母と二人で行って、お弁当を食べた。この先父は回復してくれるのかなあ、、なんてブルーになりつつ。でもなんとか本人にも頑張ってもらわないとしょうがないよねえ。

それから、実家に戻って、義父に渡す総菜に火を通し、荷物をまとめ、新大阪駅へ。そこで義父と会って、1時間半くらいお茶した。あれこれいろんな話をしていたら、あっという間に時間が過ぎ、めちゃ慌てて駅へ。「551の豚まん、チルド買うんやったらここが早い!」と義父に教えてもらってそこでささっと豚まんを購入、その後「せめてハイボールとサンドイッチくらいは、、」と売店で慌てて買って、ホームへダッシュ。なんとか新幹線に間に合った。新しく駅ナカになんかできてるらしいのに、それをチェックする暇もなく。ボス様へのお土産もなく。まあ、いいかあ、、。車内でホッと一息。やっぱり疲れたなあ。
新幹線の窓から、品川〜有楽町あたりの高層ビルの夜景を見るとホッとした。自分のホームポジションに戻ってきた感じで。東京駅からバスに乗って家の近所まで戻り、ぶらぶら歩いて家に帰った。家は、旦那が隅々まできれいに掃除してくれていて、床も拭き掃除してすごくきれいになっていた。「汚すなよ〜。」と言われつつ。家に戻ってほっと一息。私は家に帰れて本当に幸せだ。父ちゃん、ごめんね。