自分の意見を押しつけないこと

基本、私は、わりと楽観的な人間。どうにかなるさ〜みたいなお気楽タイプとも言える。うちの旦那には「志村(だいじょうぶだあ)派」と呼ばれてる。一方、旦那は悲観的。旦那は「いかりや(だめだこりゃ)派」だ。そんな我が家は、日頃は結構バランスが取れてる方なのかなあ、と思ってる。ただ、震災のあと、悲観的な旦那とたまに意見が対立することも。「この家では、“恐い”と言ってもあかんのか。」と旦那からクレームついたりして。
そんな私、今日、日経ビジネスオンラインに載っていた『放射能という“目に見えない恐怖”がもたらすストレスの脅威』いう記事を読んでちょっとだけ反省した。

放射能への恐怖心って、人によって明らかに違うように思うんですよ。僕はもともと海外出張が多いということもあって、飛行機に乗ってニューヨークに行く方が被曝量が多いんだから、大丈夫だよ、ってかなり楽観的だった。でも、妻は最初からものすごい不安を感じていました」
「不安だからだと思うんですけど、妻は自分でいろいろと情報を集めるわけです。特に最初のころは海外のサイトの情報はかなりヒステリックなものだったでしょ。だから、いまだにどんなに『大丈夫』って言われたところで、全く信じない。おまけに先日も、韓国で学校が休校になりましたよね? 雨の予報が出ていて放射能が雨に混じっているからと。ああいうニュースを見ると、また、日本の情報に不信感を抱くみたいなんです」
「でも、僕みたいに楽観的に考えている人間は、『そんなに神経質にならなくて大丈夫だよ』とか、『そんなふうに心配することの方が、体に悪いよ』とか言うでしょ。するとそういう一言にものすごくイラつくみたいなんです。もう、本当に彼女の気が済むようにさせるしかないって感じですよ」
 確かに彼が指摘するように、放射能という目に見えない脅威に対して「たいしたことないよ」と構える楽観派と、「本当に大丈夫なの?」と根拠なき不安におびえる悲観派に、事故の発生直後から二分していたように思う。

そして、私たち自身も、今回取り上げたような目に見えない恐怖に不安を抱いている人が、身近にいるかもしれない、という現実を理解し、むやみに自分の考えを押し付けないように気をつけなくてはならない。
「大丈夫だよ」と言われれば、「そんな無責任なこと言うな」と感じ、「気にしすぎだよ」と言われれば、「気にしすぎて何が悪い」と余計に思う。
ついつい放射能についての楽観派は、「たいして気にしなくていいんじゃない」とか、「そんなこと気にしていることの方が、体に悪いよ」と言ってしまいがちだが、そういった何気ない一言が、脅威を感じている人をますます孤立させてしまうことがある。放射能の専門家でない私たちが、目に見えない脅威を和らげることはできないけれど、余計なストレスを作らない努力くらいはできるのではないだろうか。

「そんなこと気にしてることの方が体に悪いよ!」って、、私、言ってる、、。よく言ってる。気をつけないと、確かに自分の意見を周囲の人に押しつけてるところあるかも。もっと発言には気をつけないと。ちょっと反省。まあ、うちの旦那の場合は、放射能よりも余震を恐れてるんだけど、、。