骨折の顛末とその後の記録~24日(火)から27日(金)

先日のブログに、励ましコメントどうもありがとうございました。キーボードを左手だけで打ってるので時間もかかりますが、一応骨折の顛末等記録に残しておきたいので、時間の流れは順番前後しますが、骨折した日からの記録をアップします。

24日、出勤日。朝ごはんはタンネのパンと珈琲。

朝、出かける時は冷たい雨が降っていた。

お昼は残り物のポテサラ、ふかし芋。それにスープ。

思えば仕事でちょっとくたびれてたかも。ここのところ忙しくて。

というのはまあ、でも言い訳かな。よくわからない。

帰り道、豊洲駅で降りて、地上出口を出て10歩くらい歩いたところかな。そこで、なぜか足もとが滑って思いっきり転んでしまった。

転んじゃって恥ずかしくて立ち上がろうと思うのに、痛くて立ち上がれない。恥ずかしくて痛くて。もうどうしようか、、泣きたい気持ちだった。

そんな時、そこに転がってる私に、とても親切な通行人の方数人が助けに来てくれた。

「大丈夫ですか? 僕の肩につかまってください。」と、とても親切なお勤め帰りの若いサラリーマンの方に助けていただいた。ろくにお礼も言えず申し訳なかった。

そして、若い女性の方が、「あそこのビルの中にベンチが有るからそこで座って少し休んで行かれたら?」とついてきてくれた。

ああ、、恥ずかしい。こんなにみんなのお世話になってしまって。それにしても、世の中なんて親切な方が多いんだろう。ありがたい事だ。

その後、ベンチから何軒か病院に電話をかけてみたり、救急窓口を教えてくれる電話案内にかけてみたりしたけど、整形外科の受け入れ先は見つからず。

旦那が迎えに来てくれて、そこのビルの中に整骨院があるよって教えてくれたので、そこに立ち寄って応急処置をしてもらって、家に帰った。

さすがに全く食欲もないので、痛み止めを飲んで休んだ。

旦那は買い置きのレトルトおでん、あと帰りに寄ったナチュラルローソンで買ってきたスープとサラダで晩御飯にしたらしい。

翌25日水曜日。朝、職場に連絡して有休をもらい、整形外科へ出かけた。2021年9月に左手を骨折した時診ていただいたお医者様。

「himekaguraさん、せっかく左手が治ったのに今度はどうしましたか?」とお医者様に尋ねられてしまった。

ほんと、私も自分で自分が情けない。また整形外科にお世話にならなくちゃ、、だなんて。

骨折じゃないといいなあ、、と思ったんだけど。残念ながら、レントゲンの結果見事に骨折だった。人生3度目の骨折。やや脱臼気味で、少し骨の位置もずれていたようだ。それで、整復してもらい、肩を保護して三角巾をし、バストバンドで固定した。

痛み止めを飲んでいれば、痛みはなんとかおさまってるけれど、なんとなく外を歩くのが恐ろしい。

そして、右手が使えないのですごく不便だ。

25日水曜日。まだそこまで元気が出ないけど、晩御飯は食べることにした。

レトルトのおでんの残りにお豆腐屋さんで旦那が買ってきたがんもどきを足したりした。

それと、旦那が買ってきてくれたしめさば。いつもなら、お皿に盛り付け直すんだけど。今日はトレーのまま。洗い物が増えないように。

それに焼きとん。

トマト。

お箸が使えないので。なんでも左手でフォークを持って食べている。

翌26日、午前中は半有休。午後は在宅勤務。午前中には再び整形外科に出かけた。

整形外科から戻ってお昼ご飯。朝は食べなかったけど、昼は旦那が買ってきてくれた今半のカニクリームコロッケを食べた。美味しいものを食べて元気を出さなくちゃね。

晩御飯。旦那が買ってきてくれた赤飯。めでたいわけじゃないけど、私の好物なので買ってきてくれた。

作ろうと思って鶏の骨付きもも肉を買ってあったので、左手でなんとか作った鶏の赤ワイン煮。玉ねぎは旦那に切ってもらった。赤ワイン煮。意外と美味しかった。それとほうれん草。

冷奴。

おでんの残りの大根と卵。

27日金曜日。どうしても行かねばならないシンポジウムがあり、朝は早めに出勤。このあたりで転んだんだよね。

どうしてこんなところで転んじゃったかな、、。

そう思いつつ出勤。朝8時前には到着。なんとか準備して、シンポジウムの受付に立つ事ができた。

同僚がすごく助けてくれて、なんとか頑張れた。ここでもまた、まわりにに迷惑かけちゃったな、、。

シンポジウムのお弁当。お箸が持てない、、って話しをしたら、同僚がフォークを借りてきてくれた。それもありがたかった。ケーキの差し入れもいただいて。人の優しさが身にしみる。

晩御飯は鴨鍋。大金鳥店で買ってきた鴨の切り落としで作った。ネギや白菜は旦那に切ってもらった。本当に、この不自由な右腕が恨めしい。早く治りたいなあ、、。焦らずぼちぼち頑張らないと、、だね。