正しさの息苦しさ

高橋源一郎氏が、自分が教鞭を執る大学の卒業生に対して寄せた祝辞。その中にとっても印象的な言葉があった。

いま「正しさ」への同調圧力が、かつてないほど大きくなっています。凄惨な悲劇を目の前にして、多くの人たちが、連帯や希望を暑く語ります。それは、確かに「正しい」のです。しかし、この社会の全員が、同じ感情を共有しているわけではありません。(中略)
明治の戦争でも、昭和の戦争が始まった頃にも、それが終わって民主主義の世界に変わった時にも、今回と同じことが起こり、人々は今回と同じように、時には美しいことばで、「不謹慎」や「非国民」や「反動」を排撃し、「正しさ」への同調を熱狂的に主張したのです。
「正しさ」の中身は変わります。けれど、「正しさ」のあり方に、変わりはありません。気をつけてください。「不正」への抵抗は、じつは簡単です。けれど、「正しさ」に抵抗することは、ひどく難しいのです。

たとえ正しいことでも、あまりにも全員がその方向に向かって突き進んでいくと、なんだかちょっと息苦しさを感じる。他の考えを寄せ付けない人を見ると、ちょっと危うさを感じたり。
なるべく自分は柔軟でありたいと思う。そして、一見“正義”らしく見えることにも疑いの目をもつことを忘れずにいたい。とはいえ、実は結構なーなーな人間なんで、ちょっと難しいんだけどね。