窮屈な社会


時々、この世の中、なんでいつからこんなに窮屈になったんやろ、、って思う事がある。まあ、いっぱい人が暮らしてて、みんな精一杯生きてるんだし、ルールは必要だよね。それはわかる。でもさあ、、時々何もかも窮屈で息苦しいなあ、、って思う時がある。そんな時、やっぱりドイツ、、ていうかミュンヘンは、案外のんびりしてて良かったよなあ、なんて思い出す事が。

私がミュンヘンに住んでいたのは、もう15年以上前だし、住んでいた時間も2年に満たない。すごく断片的にしか知らないし、まあドイツやドイツのサービスに腹立ってしょうがないこともよくあった。でも、なつかしいなあ、、としみじみ思うこともある。
ある日、ミュンヘンでバスに乗っていた時のこと。バス停で、突然バスの運転手が降りていって、かなりびっくりした。「あれ?どうしたの?バスが故障??トラブル??」なんてドキドキして運転手の様子を見てたら、運転手さんはなぜかバス停真ん前のピザ屋さんに入っていった。「??なんでピザ屋に??」と思うと、すぐ戻ってきた運転手の後ろから、店員が「じゃあピザ1枚焼いとくね〜。」「よろしく〜。○分頃にここに戻ってくるから、その時ピックアップするから。」とにこやかに店員と話しつつ、運転手は何事もなかったかのようにエンジンをかけてバスを発車させた。
え〜!!バス運行中に勝手にバスを止めて、ピザの注文に行ってたわけ?で、バスが終点について戻ってくる時間を伝えて、その時間にすぐピザをピックアップできるよう予約しておいたのね。なるほど、、さすがだ。バスの乗客は、別に私だけってわけじゃなかったんだけど、特に誰も怒る風でも文句を言う風でもなかった。これってさ、、きっと日本だとバス会社にクレームいくよね。あり得ない。ちょっとあきれたけど、なんだかのんびりしてて、余裕があるというか、なんだかいいな、、と思った。まあ自分が一分一秒を争う出勤時間にこれやられたら頭にきたと思うけど。
ドイツに私が住んでいた時に、郵便を届けに来てくれる郵便配達のおじさん。まあとにかくおしゃべり好き。隣の列に配りに行ってるから、うちのアパートの入り口にもうすぐ来るよ、、と思って待ってても、まあ何分たっても来やしない。たぶん配達のノルマも少ないのかな。入り口で誰かつかまえては長話してた。しかも、毎日愛犬と一緒に郵便を配りにきていた。さすがはドイツ。その犬がまた結構人なつこくて可愛かったんだけどね。で、入り口で出会ったりすると、ろくすっぽドイツ語がしゃべれない外国人の私にも、さんざん犬の自慢話を聞かせてくれた。まあ、、のんきだったよね。○時までに配り終えなくちゃ、、なんていう切迫感がまるでなし。1日に配る量ってきっと日本の郵便配達の人に比べてぐっと少ないのでは??なんて思っちゃう。配りきれなかった郵便物をどこかに隠してあって、それが見つかって処分された配達員のニュース、なんかを見ると“よっぽどいっぱいノルマがあるんだろうな”なんて思う。宅急便のお兄さんも時間に追われて大変そうだし。どう考えても、日本人の配達員の方がスピード遅いとは思えないんだけど。どうしてこう余裕がない社会なのかな、、。まあそのおかげでいろんな貴重なサービスを受けられている私たちなんだけど。