I was born−ソウル・パリ・東京

I was born―ソウル・パリ・東京

I was born―ソウル・パリ・東京

私的韓流ブームが続いてる。ソウルを旅して以来、なんとなく韓国が気になり、テレビのハングル講座を毎回チェックし、iPod nanoでハングル語講座を聴いてたりする。(聴いてるだけなんだけど。)韓国料理を作ってみたり、『ソウル江南警察署』を録画して見てたり。そんな私を見て、旦那が本棚の奥の方からこの本を出してきてくれた。『I was born−ソウル・パリ・東京』。「この本、2001年に買ったけど、あの時ちゃんと読んだ?」と言われた。そういえば、この本を買ったような記憶はあるんだけど、なんとなく最初の方だけ読んで放置していたような。慌てて、本を開いて読み返すことに。今、韓国に興味を持っている私が読むと、とっても面白くて興味深い。10年前はそれほど興味がなかったのかも、、。人の興味っていろいろ変わるよね。この本を読むには、私にとって、今が一番最適なタイミングだったのかも。

人は、自分の経験していない世界に対して、どれほどの理解を抱くことができるのだろうか。自分とちがう世界を体験した人と出会ったとき、どうしても、自分の知る小さい世界の延長線上でしか判断することのできない自分がいる。

そんな言葉で始まるこの本。著者は、ミーヨンという韓国人の女性。ソウル生まれで、大学時代にパリに留学し、その後日本人と結婚して東京に住む。本業はカメラマンかな。でも、この本のあと、数冊本を書いてるし、カメラマン兼文筆家というところなのかな。この本には、彼女の写真もいっぱい添えられてて、その写真もなかなか素敵だったりする。
I was bornは、私小説という感じの内容。どれも本当に彼女自身が体験した話なのだと思う。その内容が、とても興味深くもあり、時にすごく切なかったり。

大切なのは、果たして、自分がどこで生まれ、ナニジンに生まれたかなのだろうか。

在日韓国人だった友人、チョンオンの話が書かれた、「チョンオンの断食」という章も、すごく切ない話だった。そこに書かれていたのが上記の言葉。いろんな状況を考えるに、本当に重い言葉だな、、と思う。自分のよって立つ場所をどこにするのか、母国を離れると余計にいろいろ考えるものだと思う。チョンオンが、ロンドンに留学した時に、韓国人とも日本人とも、英語で話すようになり、そこでようやくなんだかホッとした気持ちになってるようなところが、なんだかすごく気持ちがわかる気がした。
ミーヨンの家族の話「幽霊たちの住むアルバム」や、日本人の夫を連れて初めて帰ったソウルでの出来事「明洞の靴磨き」もなんだかすごく切ない話だった。ミーヨンは韓国人だけれど、高校時代の思い出なんかは、日本人の高校生だった私と結構似たような思い出だなあ、、って思った。その一方で、家族が軍隊に行って帰ってきたら雰囲気が変わってしまっていた、、なんて話は韓国ならではの体験なんだな、、と思ったり。どの章もとても興味深く、夢中になって読めた。
お医者さんの待ち時間に、待合室でこの本を読んでいたんだけど、ちょうどすごく悲しい場面で、目がうるうるしてしまってる時に、「himekaguraさん〜診察室へどうぞ!」と呼ばれてしまった。今ですか?今このタイミングで??と慌てつつ、本を閉じて涙をふいてこそこそ診察室へ入ったんだけど、、なんか様子が変だっただろうなあ。この前ここの待合室で待っていた時は、『相田家のグッドバイ』を必死で読んでて、診察室で名前を呼ばれてもしばらく気づかなかったし。病院の待ち時間ってちょうどいい読書タイムなんだけど、あんまりはまり過ぎるのも考え物だね。
この本は、韓国に興味のある方にも無い方にもすごくおすすめ。彼女の視点から見た東京の情景もとても興味深いし。いろいろ考えさせれる事が多いと思います。