父のその後

パーキンソン病認知症で入院し、一旦退院したもののすぐまた再入院になった父。どんな様子か気になるので、毎日のように母に電話して様子を聞いている。父は相変わらず退院したい!を繰り返し、母や周りの人を困らせいてるようだ。
先日、母が、腰痛がひどくなったため起き上がるのもつらく、見舞いにいけずに寝込んでいた日のこと。いつもは毎日午後2時に病院に行き、6時頃まで病院で付き添って戻ってくる母なのだが、その日は「ちょっと見舞いは無理、、。」と寝込んでいた。そうすると、夕方4時頃、父から電話がかかってきたらしい。携帯は使用不可なので、フロアの公衆電話にかけにきたようだ。とにかくすぐ来てくれ!という父。「今日は腰が痛くてちょっと無理かも、、」と母が言うと電話口ですごい叫んで、どうしても来てくれ!と懇願したらしく。「もう病院は追い出されたから、荷物を持って外で待ってる。すぐに迎えに来て!」と主張する父。しょうがないので、腰痛をおして、母は車を運転して病院に向かったらしい。そうすると、父がエレベータの前で車いすで待っていたらしい。荷物もまとめてかばんにいれて。
「先生の許可も無いし、退院できませんよっていくら言ってもきかなくて。」と看護師さんに言われた母。しょうがないので、なだめすかして、看護師さんと一緒に父を病室に連れ戻した。どうやら、母が来ないことに切れて、同じ病室の人だけでなく、そばの病室の人も気づくくらい大騒ぎしてたらしい、、。困ったもんだ。
「帰りたいのはみんな帰りたいに決まってるでしょ。それをみんな我慢してるのに、何自分ひとりだけ大騒ぎしてんの?迷惑でしょ!みんな帰りたくても我慢して、心の中で泣いてるんよ!」とそばの病室のおばさんに説教されていたらしい父。もう、、本当に、、しょうがないなあ。
母は夕食まで付き添って、よろよろ家に帰ってきて、私にぼやきの電話をしてきてた。そして、その翌日のこと。前の日のことがあるからと、まだ痛い腰を我慢して早めに行った母だった。病院に着くと、父の病室が、前日の4人部屋から個室に変わっていた。「昨日深夜に叫び声を上げてて、周りの人から苦情が出たので病室を変えたんですよ。」と看護師さんから説明されたそうだ。前日、母が定時に病院に来なかったことがそこまでショックだったのか。母だって、病気になったり体調が悪くなってどうしようも無いときもあるってわからないのかな。わからないんだろうなあ、、。ちっちゃい子供と一緒になってしまってる。
この調子ではいつまで病院に置いてもらえるか、、かなり不安。病気だからしょうがないと思うものの、そんな父の姿には私もやっぱり悲しくなってしまう。母のことを大事に考えてくれていた父はどうしちゃったのかな。もう昔の父に戻るのは無理なんだろうな。などと、思っても詮無いことをくよくよ考えて情けなくなってしまう。どうしたものか。

相田家のグッドバイ

相田家のグッドバイ

以前読んだ『相田家のグッドバイ』をこの頃思い出す。私の大好きな森博嗣さんの自伝的小説。
自分の両親を見送る話なんだけれど、なんだかね、、いろいろ身につまされる話が多くて。相田家では母の方が先に亡くなり、その後しっかりしていたはずのお父さんが、だんだんひとりで暮らすのが難しくなってきて、老人ホームに入るのを選んだんだけど。そのあたりのいきさつが、なんだかいろいろ考えさせられた本だった。

子どものときの紀彦にとって、父は完璧な人だったのだ。絶対的に信頼できる人格であり、自分もそういう大人、そういう男になろうという目標だった。それが、紀彦が父を尊敬していた基本的な動機の一つでもあった。
だから、近頃の父を観察していると、人生の拠り所が、少しずつ風化して崩れていくように感じた。

この気持ちすごくわかる。読んだ時もそう思ったけど、今ではますますそんな風に思ってしまう。昔の父はこんなじゃなかった。今の父を見ていると、自分の中の何か大事なものが失われてしまった気がする。仕方ないってわかってるけど。