肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ

東京大学教養学部学位伝達式の式辞が、あちこちで話題になっていたので、読んでみた。確かにすごく興味深かった。さすが、東大の教養学部だなあ。教養学部長、さすがだわ、なんて思ってしまった。全文はここ↓。できれば全文読んでいただければ、と思う。
平成29年度 入学式 教養学部長式辞(平成29年4月12日) - 総合情報 - 総合情報
「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」は、1964年の3月、当時の総長であった経済学者の大河内一男先生が語ったとされる有名な言葉。でも、実はこの言葉にまつわる三つの間違いが有った、という事からこの話は始まる。そして、情報の伝達の過程で間違いが紛れ込んでしまう事の危うさ、一次情報にあたる事の大切さを語っておられる。

さて、そこで何が言いたいかと申しますと、まず、皆さんが毎日触れている情報、特にネットに流れている雑多な情報は、大半がこの種のものであると思った方がいいということです。そうした情報の発信者たちも、別に悪意をもって虚偽を流しているわけではなく、ただ無意識のうちに伝言ゲームを反復しているだけなのだと思いますが、善意のコピペや無自覚なリツイートは時として、悪意の虚偽よりも人を迷わせます。そしてあやふやな情報がいったん真実の衣を着せられて世間に流布してしまうと、もはや誰も直接資料にあたって真偽のほどを確かめようとはしなくなります。
情報が何重にも媒介されていくにつれて、最初の事実からは加速度的に遠ざかっていき、誰もがそれを鵜呑みにしてしまう。そしてその結果、本来作動しなければならないはずの批判精神が、知らず知らずのうちに機能不全に陥ってしまう。ネットの普及につれて、こうした事態が昨今ますます顕著になっているというのが、私の偽らざる実感です。
しかし、こうした悪弊は断ち切らなければなりません。あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること、この健全な批判精神こそが、文系・理系を問わず、「教養学部」という同じ一つの名前の学部を卒業する皆さんに共通して求められる「教養」というものの本質なのだと、私は思います。

なんでもかんでも、とりあえずはGoogle先生に聞いてみると、なんらかの答えが返ってくるこの頃。しかも、すごい量の答えが返ってきちゃって、その中に嘘や間違いが紛れ込んでいても、ほとんど気づけない。だからこそ、一次情報にあたる事って大事なんだよなあ、、って思う。とはいえ、一次情報にあたるって本当に簡単な事ではないんだけど。せめて、なんでもかんでも鵜呑みにしない。それは大事かもしれないな、って思う。情報をなんでも鵜呑みにしてしまう危うさは、3.11の時にイヤと言うほど感じたし。
スマホについての問いかけが話題になった信州大学学長の入学式の式辞も興味深かった。

信州大学では、自然に囲まれた緑豊かなキャンパスでの勉学と課外活動、都会の喧騒とは無縁の落ち着いた生活空間、モノやサービスなどが溢れることのない地に足の着いた社会など、知的にものごとを考え、創造的な思考を育てる環境を簡単に手に入れることができます。先輩諸氏は、このようにして、ゆっくりとした時間の流れを作っていたのです。
皆様はどうでしょうか。残念なことですが、昨今、この信州でもモノやサービスが溢れ始めました。その代表例は、携帯電話です。アニメやゲームなどいくらでも無為に時間を潰せる機会が増えています。スマホ依存症は知性、個性、独創性にとって毒以外の何物でもありません。スマホの「見慣れた世界」にいると、脳の取り込み情報は低下し、時間が速く過ぎ去ってしまいます。
スマホやめますか、それとも信大生やめますか」 スイッチを切って、本を読みましょう。友達と話をしましょう。そして、自分で考えることを習慣づけましょう。自分の持つ知識を総動員して、ものごとを根本から考え、全力で行動することが、独創性豊かな信大生を育てます。

これって、何もスマホを全部悪として、一切使うな!って言ってる訳じゃないよね。スマホを切って、本を読んだり人と直接話したりする時間をちゃんと持とうね!って事で。すごく大事な事だと思う。私もネット依存症、スマホ依存症なところは有るけれど、この学長の言うことは本当にその通りだと思う。
自分の頭で考える事。それって何より大切な事だよね。自分を振り返って、、反省しなくては。