若者から若者への手紙

若者から若者への手紙 1945←2015

若者から若者への手紙 1945←2015

知り合いがこの本の製作に関わっていたという事で、手にとって読んでみた。内容はこんな感じ。

「1945年に同世代だった戦争体験者へ手紙を書いてみませんか?」
そんな呼びかけに応じた15人の若者たちが、戦争体験者の証言を読み、そして手紙を書くーー
70年前の体験を同世代の物語として読み直すことは、「戦後100年」を迎えるための第一歩となった。

私たち世代は、まだ親がぎりぎり戦争を体験してるから、親が実際に見聞きした体験をいろいろ聞いたんじゃないかと思う。私の両親は、二人とも、やっぱり戦争時の体験はかなりきつかったみたいで、いろいろ語り出したのはほんの数年前からの事だ。私が実家にいた頃にはほとんどそんな話はしなかったな。母は、戦時中北京にいたので、中国からこっちに引き揚げてくる時は本当に大変だったみたいで。一時、収容所に入れられていた時の話は、よほど辛かったのか、ごく最近まで語らなかった。ただ、だいぶん前に、中国残留孤児の人たちの帰国の報道番組なんかを見て、「うちの弟も、中国人に養子にくれって何度も言われたから、あの時養子にあげてたら、今こんな風に再会してたかもね、、。」なんてしみじみ言ってたのが印象的だった。ドラマの『大地の子』も、他人事に思えなかったらしく、夢中になって見てたそうだ。父は父で、原爆の落ちた2日後に、広島に行って目にした風景は忘れられないらしいし。二人とも、そこら中で死体を見たりしたんだなあ、、。そう思うとあの世代の人って強いな、と思ったりする。
この本に書かれている、1945年に若者だった人たちの証言がすごく重い。東京大空襲に遭った浅草のおばあちゃんの話も、衝撃的だった。私、最近よくあのあたりを自転車で走ってるだけに、今の状況がすごく目に浮かぶし、地理的な事もわかるから、余計に恐く感じるんだよね。みんな空襲に遭って、隅田川に逃げたのかあ、、とか。隅田川で、上は焼夷弾で焼かれ、下は川の水に凍り付きそうになり、、まさに地獄の様相だったんだ。言問橋も火の海だったのか、。今の様子から想像できないけどね。隅田川の川縁が死体だらけで、その中から自分の家族を探すってどんな気持ちだったんだろう。あの日から私は決して泣かない、、と言ったおばあちゃんの言葉、本当に重いよ。
私たちにとっては70年も前の大昔の事なんだけど、同じような事がボスニア戦争の時もあったし。今は今で、シリアがこんな状態なのかな、、と思うと、恐ろしい。人間って争わずに生きていくってことができないものなのかな。