実家への帰省編~8月9日(金)から12日(月)まで

8月9日金曜日。早朝に新幹線に乗るため、最寄り駅から地下鉄に乗り、有楽町駅で乗り換えた。

夏休みだし、土曜日から3連休だし、って事で、やっぱり東京駅は早朝から人が多かった。普通に出勤の方もたくさんいるし、これから旅に出る!って感じの方もたくさんいるし。たくさんの人が東京駅を行き交っていた。

プロジェクタが設置されていて、そこには、南海トラフ地震臨時情報の影響で東海道新幹線が遅れる件の説明が書かれていた。時間帯で、日本語と英語表記と交代で出るようになっていた。これだけ外国人観光客が多いからそりゃ英語表記も必要だよね。

8月9日から18日まではのぞみ全席指定で自由席無しの運用だったんだけど。その事を知らずに東京駅に来たのかな?と思われる若者たちが、全席指定の表記を見てショックを受けていた。また、違う若い子のグループは、たぶん待ち合わせ場所に現われない友人に電話をかけて「マジ?出ないよ~?」と慌ててる風だった。あれこれ賑やかで、いかにも夏休みの東京駅って感じだった。

無事に新幹線に乗り込んだ。ペットボトルのお茶と卵サラダパンでサッと朝ご飯。

良い天気かな?と思っていたんだけど、富士山は残念ながらもやっていて見れず。本当に快晴でスッキリ富士山が見える事ってなかなか難しいなあ、、と何度も往復していて思う。

告知されていた通り、三島駅三河安城駅の間は徐行運転になっていた。そのため、名古屋駅への到着が10分程度遅れた。

三島駅三河安城駅の間の徐行運転は知っていたから驚かなかったけど、ちょっとビックリしたのは、名古屋駅から和歌山方面への特急列車が運休になっている事だった。また、大阪から南紀方面を結ぶ特急くろしお号も和歌山までしか運行していないとの事。

マジか??これはやはり南海トラフ地震臨時情報の影響なんだなあ、、とビックリした。地震の可能性が高いと言われればそりゃ危ない方面には電車は動かさないだろうけど、それにしてもこの夏休みのピーク時に、、。白浜温泉とか大打撃なんじゃ??と他人事ながら心配になった。

まさかくろしお号が和歌山駅から先には行かない、、なんて事になってるとは思わず。この南海トラフ地震臨時情報の重大性にちょっとビックリ、、だった。

結局、のぞみ号は名古屋駅には10分ほど遅れたものの、京都、新大阪には7分ほどの遅れになり、遅れた分を少し取り戻していたようだ。

そんなこんなで、なんとか大阪の実家に到着。良い天気でしっかり猛暑だった。

着いたらまずは、片付けだのATM周りだの、いろいろいつもの用事をこなした。母の代わりに自転車でATMを周り、お金を引き出したり記帳したりしたけれど、とりあえず「南海トラフを恐れてみんなが現金を引き出しにATMに殺到していた」なんて事はなく。ごく普通の状態だった。みんなそのあたりは落ち着いてるわね。

但し、ホームセンターなんかのミネラルウォーターはあっという間に売り切れたようで、長期保存水も全然見当たらない、、と、近所のおばさまに教えていただいた。

まあ、みんな水確保は、まず最初に気になるところだよねえ、、。

とりあえず、母の防災セットを広げて、中身を確認してみた。長期保存水や、非常食のパン、お菓子、アルファ米などすべて2026年末頃までは大丈夫だった。よかった。

非常用トイレもそれなりに数はたくさん準備されていた。枕元にラジオと懐中電灯も用意されていた。一応なんとか最低限の備えはあるので、ホッとした。

ただ、5年保存水はもうちょっといるだろうと言う事で、旦那に頼んで注文して配送してもらうようにお願いした。9月の初めまで届かないけど、それでも9月の初めにちゃんと届けば安心だ。

それよりも一番心配な事。避難所の事だ。

近所の人にも確認したけど、避難所の小学校は、歩いてそこそこ時間がかかる。そして高台にある。う~ん。ちょっと避難は難しそうだ。私の足でもたぶん10分弱くらいはかかるその小学校に母の足で行けるとはとても思えない。何かあった時に避難するのは正直なところ無理だと思う。この頃だいぶん母の足は弱っていて、杖をついてゆっくりなんとか短距離を歩くのが精一杯。ふらつくし、慌てて歩くなんてとても無理だ。

災害が起きた時にも、とりあえず避難しないで家にこもるしかないね、、と母とは話した。一応、以前北摂地震&台風で被害を受けた後、屋根は瓦屋根をやめてスレート屋根に葺き替えた。そして、地元の業者さんにお願いして耐震工事もしてもらった。一応実家の耐震性はその時にある程度はアップしたんだけど、、でもまあいつどこでどんな災害が来るかわからないからねえ。その時はどうしようもないのかも。神様に祈るしかないね。

そんな話をしながら、晩ご飯。バンバンジーと、インゲンこんにゃくのごま和えを作った。

晩ご飯の後、一緒にテレビを見ていたら、なんと緊急地震速報が突然鳴り出してビックリした。私のスマホも鳴ったし、テレビ画面でも緊急地震速報が流れて、なんだか血の気が引いた。

関東地方で地震との事。ビックリして旦那に連絡したら、「揺れたけど大丈夫。」との事だった。南海トラフ地震臨時情報が出てる時だし、「え?やっぱり大地震来ちゃったの??」と背筋が凍る感じだった。

LINEでお友達に連絡してみたら、やはり地下鉄の中や、東京駅近くなどで、周囲から緊急地震速報の音が鳴り響いてみんなびびったそうだ。そうだよね。あの緊急地震速報の音って本当に心臓に悪いよ、、。

それでも、恐ろしい大地震がやってきた、という訳ではなかったのでホッとした。いつどこでどんな災害に遭うかわからないけれど、その時は運命と諦めるしかないのかな。

10日土曜日の朝ご飯。美味しいお店で食パンを買ってきてトースト。それにヤクルトとトマト&ポテサラ。ポテサラは母の作り置き。なかなかいけました。

いつも母がなんとなくぶつくさ言うけど、お構いなしにたくさん洗濯。あっちこっちにかけてあった使いかけタオルをかたっぱしから洗濯。それに母のパジャマとか。エプロンとか。たくさん洗濯すると気持ち良い。

母がまたユニクロとスーパー、それにくら寿司に行きたいと言うので、バスでお出かけ。来るたびにだんだん歩くスピードが遅くなっているけれど、それは仕方ないね。ゆっくり杖をついてバス停まで歩けるんだからまだまだ大丈夫、、かな。

ユニクロは見てみたけど、さすがに今回は買うものが無かった。この前買ったばかりだしね。ただ見に来れる事がすごく嬉しいらしい。

その後は、いつものくら寿司。いつも通り席を予約しておけば待ち時間無しでありがたい。母が食べたいと言っていた鰻をまず注文。ちゃんと木屋さんの鋏ですっぱり2つに切って母に渡した。

鰯や鰤や軍艦巻きも全部スパッと二分の一に切れるから、母にも食べやすくて助かる。

いくらとか、いろいろ頼んだけど、結局二人でまた1200円ほどだった。来たい来たいと言うわりには、そんなに数は食べられないんだよね。でも、タブレットで注文したら、サッとレーンに流れてくるのが、ちょっとしたエンタメみたいで楽しいみたい。毎回楽しみにしてくれてるから、来れる間は来たいなあ、、と思ってる。あとどのくらい来れるかな、、。

午後、家に帰った後は、庭の草むしりとか、追加の買い物に自転車で出かけたりした。

晩御飯は、いろいろ母のリクエストで、冷蔵庫の在庫整理メニュー。きんぴらごぼう。鶏の棒々鶏サラダ。もやしとキュウリのナムル。それと、母が食べたいと言って昼に買ってきた鱧を照り焼きにした。母がいつも作るのは、だいたい鱧の湯引きが多かったので。照り焼きはあまり作らないから、私の作る照り焼きは喜んでくれた。

11日日曜日。日曜日の朝市にまた自転車でやってきた。6時スタートの朝市。6時20分頃に到着すると、すでに人がいっぱい。そして、仏花を買おうと思っていたのに、花は真っ先に売り切れていた。がっかり。

まあそれでも並んでなんとか野菜はゲットして帰った。

朝ご飯はトーストと、野菜スープ。野菜スープはいろいろ冷蔵庫にある野菜を適当にいれて作った。

そして、シーツや綿毛布を洗濯した。綿毛布は、この前6月に帰った時も洗濯したんだけど、その時は、「梅雨で寒い時もあるから綿毛布を敷いておいてほしい。」と言っていたので、そのままベッドに敷いていた。

ところが、今回帰って確認したらまだ綿毛布を敷いていてビックリ。

「暑かったでしょ??」と聞いたら「うん、暑かった。」と母。すぐに夏用のシーツに交換したら、よく眠れたらしい。

自分でシーツを交換したり、が、なかなかもう大変みたいだ。私が帰った時によく確認しないとだなあ、、。そして、私の来る前に暑かったり寒かったりしたら、兄に交換してもらうように母には言っておいた。

まあ、基本的には寝る時は温かい方が好きな母だけど、さすがにこの暑さで綿毛布は辛かっただろうなあ、、。

11日のお昼ご飯はそうめんにした。

母の希望で天ぷら添え。ゴーヤとミョウガと鰯の天ぷら。母はとにかく天ぷらが大好きで、帰ってくると1度は天ぷらを希望される。元気があれば、自分ひとりでもたまに天ぷらを作るみたいだからビックリだ。私は自分だけのために天ぷらは作らないなあ、、面倒くさいから、、。

天ぷらがご希望だった母はとても喜んでくれた。

午後は庭の草むしりとか2階の掃除とか片付けとか。そんな用事をやってるとあっという間だね。

晩御飯は、これも母の希望でカレー。牛薄切り肉とジャガイモと人参と玉ねぎの定番カレー。家にあったバーモンドカレーの辛口ルーで作った。

ただ、牛肉は先にフライパンで炒めてカレー粉をまぶして、ある程度じゃがいも人参が煮えてから鍋に戻すとか、追いカレー粉をするとか、ちょこっとだけ工夫したら、母が「美味しい」ととても喜んでくれた。まあひとりでカレーもそんなに作らないものねえ。

12日月曜日の朝。朝のうちに庭の水やりをした。

庭の隅っこに、朝顔が咲いていた。

12日月曜日の朝ご飯。トーストに前日のスープの残り。(スープの残りはもちろん冷蔵庫保存。冬場だと廊下に置いておいても全然大丈夫なんだけど、この暑さではなんでも冷蔵庫にいれておかないと、、だね。)それに、キウイのヨーグルトかけ。

朝から洗濯して干した後、自転車で駅前に出て、母に頼まれた買い物をした。火曜日、私は義父の初盆法要だが、母は兄と一緒に父の墓参りに行く予定なので、そのお供えとかお花を準備した。墓参りの準備も、だんだん母にはしんどい事になっているようだ。花は行く途中に買えば良いんじゃない?と言うんだけど、途中で売り切れていたら困るとか言うので、前日に買いに行っておく事にした。

月曜日の昼ご飯は、前日のカレーの残り。カレーの残りも冷蔵庫にいれておいた。これでだいたい食べきる事ができたので良かった。やはりひとり暮らしでカレーを作るのはなかなか難しいかも。ある程度の量を作らないと美味しくないものねえ。でも食べきるのはなかなか大変だし。そうなると、レトルトの方が効率的だな。

母といろいろ話をして、午後3時過ぎに家を出て、旦那の待ってる義実家に移動した。

義父の仏壇の準備、飾り付けをいろいろやり始めた。完成させるのは翌日、という事で、花とかお供えとかできるところをまずは買って来て、いろいろ揃えた。

晩御飯は、旦那の買っておいてくれた551の豚まん。それにサラダを作った。

それと柿の葉寿司。私が、「柿の葉寿司は鯖だけで良い。他のものは要らない。」と常々言ってるので、旦那はちゃんと鯖だけ買っておいてくれた。

鯖の柿の葉寿司が、私にとってのソウルフードなんだよね。母方の祖母の実家が奈良県の吉野で、母とも付き合いが深く、私も子供の頃によく吉野に遊びに行かせてもらっていた。そんな吉野の思い出の味が柿の葉寿司。

祖母が亡くなる少し前に、「柿の葉寿司が食べたい。」と言ったので、慌てて新宿のデパートで柿の葉寿司を買って持って行った事を今も思い出す。柿の葉寿司にはいろんな思い出がある私だ。

旦那は、私の大好きな鳴海餅の赤飯も買っておいてくれた。

この上品なピンク色の赤飯が、京都らしくて美味しいなあと思う。ごま塩も白いごま塩なところがまた、なんとなく京都っぽいなあと思う。

それと、551のシュウマイ。

いろいろ買ってきてもらったものを気ままにつまむ夕飯。実家でくたびれた私にはちょっと気楽な晩御飯で助かった。

しかも、適当にお酒飲んで酔っ払ってソファで寝込んじゃった。

義父がまだ元気だった頃、よく私は実家で数日滞在し、その後義実家で旦那と合流したんだけど、こうやってだらだらソファでうたた寝させてもらってた。義父が優しかったので、いつも義実家でごろごろサボって骨休めさせてもらっていたなあ。どっちが実家なんだか、、って感じだった。笑

そんな事も思い出す夜だった。