『人、中年に到る』

人、中年に到る

人、中年に到る

四方田犬彦の新刊でてる、、と本屋で見つけて買ってきた単行本。タイトルにもなんとなく惹かれて。今まだ完全には読み終えてなくて、4分の3くらい読み終わったかな。中身はいろいろこの人らしくて面白い。
四方田犬彦の本を最初に読み始めたのは、『月島物語』。それで、すっかりこの人の文章スタイルとか雰囲気に惹かれて、時々この人の書いた物を読むようになった。
先生とわたし

先生とわたし

で、この本を読んだ時にはかなりいろいろ考えさせられたというか、読んでてつい涙してしまった。四方田犬彦が、師匠の由良君美と自分との関係について書いた本なんだけれど、これもいろいろ深くて。心にず〜んとくる内容だった。先生とわたし、師匠と弟子の関係って本当にいろいろだよなあ、、なんてね。一言では言い表せない複雑な感情が入り交じっていて、とても難しい関係だと思う。
今回の『人、中年に到る』は、57歳になった彼が、オスロにこもって自分をもう一度見つめ直して書いた作品。自伝的な内容から、いろんな事象や概念について自分なりの考えをのべていたり、中身は多岐にわたっていて、とても興味深い。
いくつかの項目をあげてみると、“職業と労働について”“恋愛の終わり”“本と娼婦”“わたしはなぜ旅に出るか”“憎悪と軽蔑について”“言語の習得について”“故郷と国家”“老いと衰退”“死について”などなど。なかなか面白そうでしょ?
たとえば、憎悪と軽蔑について、ではこんなことが語られている。

憎悪というのはとにかく疲れる。端的にいって割にあわない。せいぜい軽蔑の騎兵小隊で事足りるところに憎悪の大隊を投入したとしても、得られる戦果よりも犠牲の方が大きいだろう。

これって確かにそうだなあ、、と思う。憎悪というほどでなくても、誰かのことや何かに対してすごく腹を立てて、その事を考え続けたりしたら、もう疲れ果てる。エネルギーの無駄遣い。四方田氏によれば、憎悪するのではなく軽蔑するのがいいと。軽蔑とは、ある程度カメラを引いて、距離をもって眺めることであるから、、と。う〜む。そこまで自分を冷静にできればいいんだけどね。
言語の修得について語られている箇所で、“新しい言語、自分に未知の言語を習い始めたときの爽快な気分には、独特のものがあると思う。”という感想にはすごく同感。でも、もちろん四方田氏はレベルが全然違うけど。彼の修得した外国語の内容を読んでたら、、「もしかして、自慢??」とちょっと思っちゃったりもした。なにしろ、英語、仏語、イタリア語はすごく堪能だし、韓国語もかなりできるみたい。それ以外に、インドネシア語タイ語アラビア語もかじってるようだ。ドイツ語とロシア語も、挫折したと書いてるけど、そこそこできる感じだし、、。もちろん彼のようなレベルには全然達せないし、世界が違うなあ、、と思うものの、それでも何か新しい言語をちょっとだけでも勉強し始めたら、また新しい世界が開けてくるような気がするのは確かにとても楽しいことだと思う。今まで挫折だらけの私だけど、ま、ぼちぼちマイペースで、老後の楽しみに勉強してみるのもいいかな、、なんて思った。
故郷と国家についての記述も面白い。

わたしには国家の神聖さや崇高さを口にする人たちのことが、どうしても理解できない。国境線がそうであるように、国家は人為的な取り決めであり、自生のものではない。

彼の故郷と国家についての考えにはすごく共感した。彼は、イスラエルのテルアヴィヴの大学で教鞭をとっていた時に、パレスチナイスラエルを行き来したらしいので、きっとその経験が彼自身の考えにいろいろと影響しているんだろうなあ、と思う。昨今の、偏狭なナショナリズムをあおるようなニュースにちょっとうんざり気分の私にとって、この本に書かれてる内容は、すごく共感でき、またいろいろ気づかされることも多かった。
最後の方に書かれている“死について”はまだ未読。何が書かれているのか、今から読むのが楽しみでもあり、ちょっとドキドキもする。
私より10歳くらい年上の彼が書いた本だけど、世代的には結構共感できる部分も多く。また、いろいろ興味深いので、楽しく読んでいる。楽しいだけじゃなく、いろいろ考えさせられてる。同世代のお友達も、興味ある方にはぜひ手にとってほしいなと思って、長々紹介しました。