訃報と義母の命日


月曜の夕方、母に電話かけたら声が沈んでた。どうしたのかな、と思ったら、母の一番の親友のKさんが亡くなったとのこと。ここ最近はガンが転移していて、そんなに体調がすぐれなかったんだけど。それでも父の特養にも2度もお見舞いに来てくれていて。10日ほど前に、母が電話したら、また入院されてたんだけど、「もうそろそろあかんと思う。でも思い残すことないから、死ぬのは怖くないねん。」って話していたらしい。母は「そんな事言わんと、また会おうよ。」って言ったらしいんだけどね。その時、母と私は、私の帰省する夏休みには一緒にお見舞いに行こうって言ってたんだけど。間に合わなかったなあ。
Kさんは私も子供の頃からよく知っていて。子供の頃は近所に住んでいて、女の子がいないからと、Kさんによくかわいがっていただいた。服を縫ってもらったり、着物を仕立ててもらったり。Kさんは和裁、洋裁、お料理、なんでもできるスーパー主婦であこがれの人だった。
ご主人が事業で失敗して、家も家具も何もかも差し押さえられて、家中に差し押さえの札を貼られて、泣いて身一つで出て行かなければならなかった、、というような目に遭った方だったけど、そこからもたくましくて。ずっと主婦だったのに、その後は荷物配送センターでリフトを動かして運ぶガテン系の仕事をされたり、清掃の仕事をされたり。裕福なマダムだったのに、たくましく明るく働いておられて、そんな風になってもずっと母と友達だったし、前向きに元気に生きておられた。旦那様を支えて。
私は心密かに彼女の事を人生の師匠と仰いでいた。どんな時もへこたれずに強くしなやかに、でも優しい素敵な女性だったなあ。数年前にもスカートを1着縫ってもらって。訃報を聞いた晩はそのスカートを出してきて眺めていた。どうか天国へ行ったら、旦那様と仲良く、のんびりなさってくださいね。いつまでも貴女のことは忘れません。ありがとうございました。

そして、7日は義母の命日だった。もうすぐ東京はお盆という事もあり、ホオズキを買ってきて、飾った。義母、お友達、Kさん、みんな安らかに、、と思いながら、お線香をあげた。