post-truthの時代


日曜日の午後。部屋の掃除を終えてから、スポーツクラブへ行くまでの間、たまっちゃった新聞の整理をコツコツやっていた。日頃、もうちょっとちゃんと読もうと思うんだけど、結局読む暇がなくて、いつも1ヶ月とか2ヶ月とかためちゃってからまとめ読み。で、追いつかなくてまたためちゃう感じ。う〜む。私、時間の使い方下手くそだなあ、、。
でも新聞、読む気力が低下してるのも事実。テレビのニュースも全然見てないし、ニュースってネットでヘッドラインをチェックしてるくらい。だから結構大きなニュースを落としてたりして。私って相当世の中から遅れちゃってるわ、、。新聞をざっと斜め読みして、ああこんな事が有ったのね、、なんて知ってるけど。これも正しいかどうか確証はないよね、、、と思う今日この頃。
イギリスのオックスフォード大出版局は2016年12月16日に、“Post-Truth”という言葉を「今年注目を集めた英単語」として採用した。Post真実。客観的な事実よりも個人の感情や信念に訴えかけることが世論形成に影響を持つ状況を指す言葉だそうだ。
確かに、アメリカ大統領選挙なんかでは、トランプ氏の発言にいろいろ嘘や間違いがあったらしいし。先のアメリカ大統領選において多く拡散されたフェイクニュースを垂れ流し続けたのは、マケドニアの10代の若者たちが金儲けのために運営していたニュースサイトだったとか。
なんとなく、政治とかそんな大きなものだけじゃなく、今はPost-truthの時代なんじゃないかな、、と日々実感したりする。情報の波や量が半端ない今の世の中で、何が正しくて何が嘘なのか、見分けるのってものすごく難しいなあ、、って思う。誰かのつぶやきがどんどんリツイートされて拡散されていくけど、その最初のところって本当なのかどうなのか、誰もチェックしてないもんねえ。まだマスコミだと多少誰かが校正したりチェックしたりしているんだろうけど、ネット情報は、誰も校正なんかしないで、どんどん広がっていくから、、ちょっと怖い。
でも、私みたいに、ろくすっぽ新聞やテレビのニュースを見てなくて、ネットしか見てなかったら、、だまされちゃうかもなあ、、って思う。なるべくネタ元は確認しなくちゃ、とは思ってるけど、限界有るしねえ。
そんな重い問題ではなくても、、たとえば、美味しいお店を探そうと思って、グルメサイト見て、そこに載ってる情報が本当なのか?は結局わからないよなあ。知ってるお店の私的評価や感想が、食べログの評価と大きく違っていたりして、ビックリする時があるし。自分の感覚がおかしいのかなあ、、でも、、って思う。まあ食べ物については好みが大きく影響するからしょうがないのかもしれないけど。
情報が多すぎて、情報の海の中でどうしたら良いのかなあ、、って日々思う。でも、今さらグーグル先生のいない時代には戻れないよ。グーグル無しでどうやって生きていたんだろう、、って思い出せないくらい頼り切っちゃってるから。この先、世の中どうなっていくのかな、、ちょっと不安。