まだ読んでいる途中なのですが、ちょっといろいろ思うところがあったので、とりあえずブログにアップします。
この本のあらすじはこんな感じ。
認知症の母たちの目に映るのは、かつて彼女がいちばん輝いていた時代――。いったいどこに帰っているのかしら? 長い人生だったでしょうから、どこでしょうね。介護ホームに暮らす97歳の母・初音は結婚後、天津租界で過ごした若かりし日の記憶、幼い娘を連れた引き揚げ船での忘れがたい光景のなかに生きていた。女たちの人生に清朝最後の皇帝・溥儀と妻・婉容が交錯し、戦中戦後の日本が浮かびあがる傑作長篇。
私の母は、子供時代を北京と天津で過ごし、敗戦を中国で迎えて、中国から引き揚げ船で戻ってきた。中国にいた頃にはそれなりに豊かな暮らしをしていたみたいだけれど、終戦後は大変な思いをして引き揚げてきたらしい。
あの時代、同じような目に遭った日本人はたくさんいたと思う。
そして、楽しかった時代の話はしても、終戦後の収容所での話や、引き揚げ船での思い出話は、あまり聞かせてくれなかった。本人もそんなに思い出したくなかったんだろうと思う。
ここ数年、その頃の思い出話を聞かせてくれるようになったので。内容を少しメモしたりしている。
そして、この『エリザベスの友達』は、そんな中国からの引き揚げ者だったお母様が、認知症になった話だったので、なんだかいろいろ他人事と思えずに買ってきて読んでいる。
ただ、認知症の描き方でやや気になるところがあった。
私の父は、レビー小体型認知症で。最後の最後には、私の事がわからなくなっちゃったかな?という時もあったんだけれど。そして、亡くなる前数年は、幻影を見たり、つじつまのあわない話をしたり、すご~く古い思い出話をしてくれたり。父独特の世界にいる感じはあったけれど。それでも、正気の時も結構多く、ボケと正気をいったりきたり、な感じだった。そして、「家に帰りたい」と言って、泣いたり暴れたり。困らせられる事も多かった。
この『エリザベスの友達』を読んでいると、穏やかにぼけて、正気を失っていて、完全に若い頃に戻ってその世界を生きていて、それなりに幸せそう、、みたいに描かれているので。「認知症ってそんな甘いもんじゃない!」って思ったけど。
この前、お友達のお姑さんの話を聞いたら。
本当に、穏やかで、ぼんやりした認知症の世界に生きていて。それなりに幸せそう、、と言っていた。そういう認知症の人もやっぱり確かにいるのね。
また、先日、私の父方の叔母が亡くなったんだけれど。いとこから聞いた話では。叔母はすっかり子供に戻ってしまっていたようで。
いとこが面会に行くと、帰り際に必ず「私がここにいるって事を、私のお父さんとお母さんに伝えてね。」って言われたそうだ。子供の世界に戻っていて、両親とはぐれてしまったと思っていたのかもしれない、、と。
完全に子供に戻ってしまったり、完全に違う世界に行ってしまって、そこで穏やかに暮らせる人もいるんだなあ。まあそんな認知症であれば、本人は楽なのかもしれない。
叔母の話を聞いて、『エリザベスの友達』を思い出した。
最後まで読み通さなくちゃ、ね。